頻繁に飛行機に乗っていると、印象が薄く記憶に残らないフライトもあれば、いつまで経っても当時の情景が鮮明に思い出されるフライトもあります。
このページでは今回の旅行の事ではなく、四半世紀以上前の私の添乗時代のエジプト航空での印象に残った出来事を綴ります。
今も昔も変わらずビロードの上を滑り降りるような見事な着陸で有名なエジプト航空の四半世紀以上前のお話です。
スターアライアンスメンバーに加盟する以前はなかなかパンチの効いた航空会社でした。
2023年エジプト旅行のバディの✨白玉さん✨から、こんなくだらない記事なんて誰も読まないし文章も下手だからUPしない方が良いと言われましたが、私の思い出日記としてエジプト個人旅行ブログに収めました。
昔のエジプト航空 国際線
受け入れ空港を探して夜間飛行はつづく
四半世紀前以上までエジプト航空のカイロ行きは成田発着しかなく、マニラとバンコクを経由し、カイロまでの所要時間は約24時間。
たまに予定のないバーレーンを経由して28時間フライトになることもあった。
上記プラス大阪伊丹空港からの国内線乗継があるのでカイロまでは1日半くらい要する旅だった。
それもボーイング最新機材で北回り!
往路13時間、復路11時間半程度。
添乗先がエジプトばかりではないけど、
エジプトがとても近くなり、嬉しく思った。
しかし関空発のエジプトツアーから帰ってきた添乗員たちは「経由地はないけど北回りじゃない。東南アジア上空を飛行した。」と漏らす。。。
初就航からいつまで経っても南回り。
カイロまで17時間前後要するフライトだった。
往路は、大々的に北回りを宣伝しているのに南回りで17時間掛けてカイロへ。
エジプト観光を無事に終えて、カイロからエジプト航空の関空行きへ乗り込んだ。
全く期待していなかったが、なんと離陸時のアナウンスで北回りとの案内が(≧∀≦)
関空まで11時間のフライトとのこと。
やったーと喜んだ♪
関空ーカイロ間は新機材で座席も綺麗いでエジプト航空で唯一、ビール等のアルコール提供があった。
その帰路のフライトでは機内食の間隔が短く、離陸から6時間で2回目の機内食を配り終えていた。
遭難時に備える体力を確保するために機内食があるのだけど、パーソルモニターなんて無い時代だし、機内は暇だし、食べるか寝るしかすることがないので誰も文句は言わなかった。
機内の照明を落としてなかったので乗客はそれぞれ旅の余韻に浸り、お喋りしたり、本を読んだりしてゆったりした時間を過ごしていた。
モニターに目をやると、関西空港到着まであと5時間。チベット上空を飛行中。
その時、急に機内がザワつき始めた。
モニターの飛行機✈︎マークが右向きで東に進んでいたはずが、左の西側を向いている。
キャビンクルーに尋ねると
「単なるモニターの不具合だと思う。エジプト航空では良くある事。機長からは何の報告もない。」とのこと。
ボーイング社のモニター不具合なんて見た事も聞いた事も無いし、ツアーのお客さまから何故?と聞かれたてもモニター不具合か本当に引き返しているか確認中のようですと答えるのみだった。
実際に当時はエジプト航空の引き返しは珍しくなく、現地ガイドさんもバスの中で別れ際に日本到着1時間前でも引き返すことがあるよと冗談で言ってた程だった。
エジプト旅行を名残惜しむお客さまが大勢いらしたので、その時は飛行機✈︎マークの事は深く追求はされなかった。
しかし、それから暫く時間が経ってもモニターの飛行機マークは修正されず、更に西へ進んだ。
もう一度キャビンクルーに尋ねた。
まさかのハイジャックか?と。
キャビンクルーは笑いながら違うよと答えてくれたが、やはり様子が変だと認識して機長へ確認しに行ってくれた。
戻ってきたキャビンクルーは「機長は何も答えてくれなかった。」と少し憤っていた。
明らかに変だし、私も若かったのでしつこくキャビンクルーに何が起きているのかもう一度機長に確認して欲しい。決して誰にも言わない。今起きている事実を聞き出して欲しいと懇願した。
そして再度機長の元へ確認しに行ったキャビンクルーが神妙な面持ちで戻って来て、絶対に口外しない約束で教えてくれた。
とある大国の戦闘機に囲まれていると。
領空から出るまで戦闘機が付いて来ていて、いつでも撃ち落とせる体制だと。
飛行中のとある大国の領空を出ても、当時は中近東系の航空機に対する飛行許可がとても厳しく、近隣国で受け入れてくれる空港が見つかり難い状況だった。
機長も大変だったかと思います。
そして機内アナウンスがされた。
カイロ国際空港に引き返すと。
機内で特に混乱発生せず。
成田発着便とは違って乗客の殆どが日本人観光客でビジネスマンは乗っていない様子だった。
ただ、とある大国の上空でもあったし、お客さまの中には政治的な背景でも絡んでいるのではないかと推測して、それを題材にした俳句を作って見せてくださる方もいらっしゃった。
そしてする事もないので皆んなお菓子を分け合ったりしながらモニター観察をしている時、進路はカイロ方面ではなく、飛行機✈︎マークが南下してタイを目指していることに気付いた。
バンコクで一泊か?なんて機内はワイワイして皆さんとても元気。
エジプト旅行で数々の雄大なスケールの遺跡を観てきたので人生観が変わったのか、ダイバートや引き返しなんてちっぽけな事柄に感じ取られたのかも知れません。
カイロに戻るにしても機内食は尽きたし、バンコクで一泊して給油と食料補給が妥当だったのでしょう。
ところが、バンコクから拒否されたのか飛行機✈︎マークはバンコク手前で進路を北西に取り直した。
飛行機は何処へ向かうのかと皆んなが見守り何時間か経過した頃、飛行機✈︎マークは当時紛争地だったチェチェン共和国に近づいた。
モニター上、明らかにチェチェン上空に飛行機✈︎マークがあったその時、飛行機が下降を始めた。
機内アナウンスなし。
えー‼︎チェチェン⁉︎Σ(・□・;)と機内は大騒ぎ。
嘘やろと思っているその時、飛行機は上昇し、チェチェンを離れた。
そらそうやわな、紛争中の国の空港に降りれる訳がないしなと皆さん再びモニターを注視した。
それから飛行機✈︎マークは西へ進み、今度はトルコの首都アンカラ上空で高度を下げ始めた。
ここでも機内アナウンスなし。
しかしアンカラからも拒否されたのか再び上昇。
エジプト機はさらに西へ進み、イスタンブール上空へとやって来た。
機内では多くの方がイスタンブールいいね~(*^。^*) 、今夜はイスタンブールで一泊かなんて言って期待して盛り上がった。
飛行機はイスタンブールを中心にして上空を大きく2回旋回し、高度を下げず、そのままイスタンブール上空から進路を南に取り始めた。
イスタンブールからも拒否られたみたい。
そこで機内アナウンスが。
予定通りカイロへ引き返すと。。。
カイロを15時頃に離陸して約12時間後の翌日深夜3時頃、再びカイロ国際空港へ戻ってきた。
降機後、バスに乗って到着ターミナルへ。きっちりと出迎えのアテンドがあるかと思いきや無い。
バスを降りてから入国審査場へ進む通路にダンボール箱が床に置かれ、そのダンボールにパスポートを入れるようにと通路に立つ係員から指示された。
大丈夫かいな?と思いながらもパスポートをダンボール箱に入れた。
通路を抜けてパスポート審査場を素通りしようとすると、何事だと言わんばかりに制止された。
もしかして、何も連携が取れていないのかと思い一から説明をした。私の後に300人近くの同じ便の乗客が連なっていることも併せて。
そして入国審査官が何処かに電話して確認を取った後エジプトに再入国。
しかし何処にもエジプト航空の係員はいない。
放置状態。
取り敢えずその辺りに居る空港職員に尋ねて指差しされた扉へ向かった。
エコノミー客群衆の一番先頭を歩いていたからか、私が移動すると他の方々も一斉にに続いて来る状態だった。
そして指示通り扉から出てみた。
完全に外やんか。
空を見上げると美しいお月さんが輝いていた。
え!どうするの⁉︎単に空港の外へ放り出された!と思ったその時、私の隣で綺麗な身なりのエジプト人紳士が流暢な日本語で「少し前からここで送迎バスを待っているけど歩いて行きましょう。エジプト航空が契約しているホテルを知っています。」と話し掛けてくださった。
彼はビジネスクラスの乗客で、講師を務める同志社大学へ向かうために同じ便に搭乗していた。いつも日本とエジプトを行き来しているとのこと。
私は大きな声でここから歩きます!と自分のお客さまと群衆に呼びかけ、先生に着いて行った。
歩いて10分もしないうちにスイス系五つ星ホテルのモーベンピックホテルへ到着。
群衆の先頭で引率していたけど、ここから先は申し訳ない、自分のグループお客さまの部屋をいち早く確保して部屋に入れるため、旅行会社のパスポート番号記載の英字名簿をレセプションに提出して真っ先に全員の部屋鍵を入手した。エジプト再入国後放置されていたけど、エジプト航空からホテルへは予め連絡は入っていた。
自分のお客さまへは速やかに部屋に移動して頂き、暫く混乱が続くレセプション付近で待機した。
海外添乗の座学で、現地で何かあった時は日本人同士助け合うんだよと師匠から教わっていたし、他の添乗員とも情報交換したいし、個人旅行客もいてホテル側も通訳を必要とする場面があるため明け方までホテルロビーにいた。
そうこうしているうちに、空港で見送り業務中に噂を聞き付けた現地のツアー手配会社のスタッフが駆け付けてくれた。
週に2回しか飛行許可が下りないから帰国は3、4日後になるかも知れない。今エジプト航空で調整中。ゆっくり過ごしてとのこと。
朝になっていたので朝食会場へ。皆さん、今回の旅行で1番美味しい朝食だと喜んでいて、私も沢山食事を頂きました。
そして帰国日が決まっていない事をお知らせしたのでプールで泳ぐ方もいらっしゃった。
その後ランチも用意されていて夏だけど寝正月状態。
いつ帰れるか分からないし開き直って誰もがリゾート気分で寛いでいた午後4時、突然エジプト航空から全員荷物をまとめてロビーへ集まるようにとの知らせが入った。
ロビーへ行くと空港へのバスが用意されていて、とても慌ただしく次々とバスへ乗り込むこととなった。ロビーで誘導をしていると、エジプト航空の職員から最初に出発するバスに乗って欲しいと頼まれた。まだお客さんが全員揃ってなかったのでそれは困ると伝えると、全員最後までフォローするから自分達を信じて欲しいと懇願されたので少し気になりながらもバスに乗り込んだ。
そして空港へ到着すると、例のパスポートが入ったダンボール箱4つをハイって渡された。。。えっ?何?て聞くと、全員に配ってと。。。
エジプト航空の職員さんも一緒に配ろうとしてくれたけど、ローマ字表記であっても日本人の名前が読み難くいようでなかなか進まず。同じ便にいた他のツアー添乗員4人で手分けして、お立ち台に上がって300人近い群衆に向けて一つ一つパスポートを開けて名前を読み上げ、それぞれに手渡していきました。。。
帰国便は北回りで飛行し、2回目の機内食もちゃんと到着2時間前に出されて無事、関西空港に到着しました。
それから再び北回りはクローズされ、引き返しから3週間くらい経ったある日、とある大国で核実験が実行された。
これが原因で領空から追い出されたのかも知れない。
現地ニュースによると、とある大国のトップはエジプト機を領空から追い出した件に対して後日エジプトを訪問して謝罪したようです。