エジプト個人旅行 10日間 2023

急に思い立ち、エジプトに行って来ました

【完全に番外編 Part Ⅰ】エジプト航空 思い出いろいろ@四半世紀前

頻繁に飛行機に乗っていると、印象が薄く記憶に残らないフライトもあれば、いつまで経っても当時の情景が鮮明に思い出されるフライトもあります。

このページでは今回の旅行の事ではなく、私の添乗時代のエジプト航空での印象に残った出来事を綴ります。

今も昔も変わらずビロードの上を滑り降りるような見事な着陸で有名なエジプト航空の四半世紀以上前のお話です。

スターアライアンスメンバーに加盟する以前はなかなかパンチの効いた航空会社でした。

 

2023年エジプト旅行のバディの✨白玉さん✨から、こんなくだらない記事なんて誰も読まないし文章も下手だからUPしない方が良いと言われましたが、私の思い出日記としてエジプト個人旅行ブログに収めました。

 

  IT社会到来前の時代
座席予約ステータスがリクエスト扱いのまま空港へ

初めての海外添乗が豪華内容のエジプトツアーで、飛行機はエジプト航空

当時日本からは成田発の水曜と土曜の週2便のみ運行。マニラ、バンコク経由の南回りでした。

出発前々日に会社で参加者全員のカーボン式航空券をピックアップして確認すると37名中予約が確定していたのは5名だけ。

残り32名の航空券にはRQ(リクエスト)表記。

その時点で大幅なオーバーブック判明。

でも旅行会社は大のお得意様なので成田空港のカウンターに入ってツアー受付開始する時には全員の搭乗券が用意されています。

不足した座席は航空会社が座席を譲ってくれる人を探して何時間も遅延して出発。。。

飛行機の座席が確保されていないままツアー当日を迎えるなんて珍しくなかった時代。

なんならヨーロッパツアー添乗時なんてヨーロッパ都市間の航空券が数名分未発券で、現地で現金で買うようにと会社から指示を受ける事もあった。

昔はITが発達していなかったのでそんなものでした。

 

  昔のエジプト航空 国内線
そこから先は早い者勝ち

今も昔も変わらず高額のエジプトツアーでのアブ・シンベル神殿観光は航空機移動が主流。

ギザで最高級ホテルのメナハウスオベロイを未明の午前4時にチェックアウトして空港へ。

どうしてこんな早朝便に乗るのかというと、アブ・シンベル神殿が午後から逆光になるからです。

カイロからアブ・シンベルへの直行便は無いのでアスワンでアブ・シンベル行きの接続便に乗り換え。

接続便の搭乗券はアスワンに到着してから受け取ります。

接続便の搭乗券には便名のみが印字され、座席番号の記載なし。

何と、アスワンからアブ・シンベルへのフライトの座席はよ〜いどん!で椅子取りゲーム、早い者勝ちです。

各国ツアーグループの現地ガイドや添乗員らは自分のお客さまへ「機内に乗り込んだらどの席でも良いので素早く座ってください。」と伝え回ります。

幾度となく座席が足りなくて発狂している人を目撃しました。

乗客の大半は欧米人。

本当に乗れない人もいますが不足が2〜3席の場合は通常、小柄で穏やかそうな日本人に白羽の矢が当てられ、座席を譲ってあげてとキャビンクルーから頼まれます。

ツアーのお客さまが拒否した場合は添乗員が席を譲ります。

座席を譲り、キャビンクルーから案内される先はコックピット。

狭いコックピットのジャンプシートに座っての移動はアスワン空港↔︎アブ・シンベル空港間に限られたこと。

※9.11以降はコックピットに乗客を入れません。過去の事です。

 

  昔のエジプト航空 国内線
自由すぎる運航スケジュール

アブ・シンベル空港に到着すると、エジプト航空の神殿行き無料の乗り合いバスが用意されています。

アブ・シンベル神殿観光を終えて次の目的地アスワン行きフライトのため再び乗り合いバスで空港へ戻ると「あ〜、その便は今日飛ばないから。今日の便は全て終了。」なんて平気で言われる始末。

突然の欠航で田舎の小さな空港内は大騒ぎ。

予定の便に乗ならないと当日の帰国便に間に合わない観光客もいるし、日本人団体ツアーは旅程がタイトなので翌日の振替便なんて受け入れられない。

エジプト航空から高級リゾートホテルのセティアブ・シンベルを用意してあげると説明されても誰も納得せず。

押し問答の末、カイロから機材を回してもらい、何時間も遅れて次の目的地アスワンへ向かった。

 

  昔のエジプト航空 国内線
自由すぎる 予約管理

ルクソール空港でカイロ行のチェックインを済ませ、客さま全員に搭乗券を配布してセキュリティチェックを終えたら一旦解散。ゲート付近で自由に過ごしていただく。

すると、現地ガイドさんが険しい表情で、今日は飛行機に乗れないかも知れないと言ってきた。

座席指定もされているし何で飛行機に乗れないの?と聞いてみると、我々の便はアスワン発ルクソール経由カイロ行きだけど、既にアスワンで満席。

経由地ここルクソールにすら来ない可能性があるとのこと。

何も知らされていない約200名の乗客は搭乗ゲート前で待っていた。

そして搭乗時間が近づいて、便数が少ない小さなルクソール空港の搭乗ゲートのガラス越しに、エアバスが着陸するのが見えた。

あれはアスワンから来た便かと搭乗ゲート係員に尋ねると「そう。でも、既にアスワンで満席になったの。誰か降りる人がいれば乗れるけど。」と平然と返された。

そして3名の乗客が飛行機のタラップから降りて来るのが見えたが、その後誰も続いて降りて来ず。。。

暫くすると飛行機のドアが閉まり、タラップがゆっくり離れ、飛行機は滑走路へ進み、飛んで行った。。。(; ・`д・´)

それを見た搭乗ゲートに並んでいた乗客たちが激高して怒鳴り散らかすわで大混乱。

その時、突然、カイロ行きの搭乗手続きが開始された。

何だ勘違いだったのかと皆んな我に返り、落ち着いて係員の誘導に従い駐機場へ移動する連結バスに乗り込んだ。

そうだよね、さっき目の前で飛んで行ったのは関係のない飛行機だよね、今から沖止めされている飛行機に向かうんだよねと誰もが安堵の表情。

約200名の乗客を乗せた連結バス計2台はぐるりと駐機場を周り、

さりげなく空港の外へΣ(゚д゚lll)

町の中を走りだした駐機場行き連結バスから商店は見えてくるわ隣に並行してロバの荷車が走っているわで、いつの間にかナイル川ほとりが見えてきた。

搭乗ゲートから乗車した連結バスが到着した先は、かつてアガサクリスティも宿泊したオールドウィンターパレスホテル。

豪華なビュッフェランチが用意されていた。

とても賑やかで騒がしいレストランで美味しい食事を頂きながら航空機の調整を待ちました。

結局その日は真夜中にカイロ空港に到着。

フランスのシラク大統領の到着と重なり、空港からカイロ市内までの道路に軍隊がずらりと並ぶ光景が続いた。

 

  20世紀最後のオリンピック
悲しい出来事

1996年は20世紀最後のオリンピックが開催された年。

近代オリンピック第1回目の開催地アテネが最終候補に残り、世の殆どの人がここは伝統を重んじてアテネに決まるだろうと信じていた。

ところが米国アトランタとの一騎打でアテネが破れた。

アメリカがオリンピックを金で買収したとギリシャ人は怒り、アトランタに本社のあるコカコーラの不買運動が起こった。

1996年、アテネ市内の地下鉄工事は未完成で、地面を掘っては遺跡が大量に出土するのでその度に学者を呼んで工事が頻繁に中断していた。

この学者を呼ぶのには結構お金が掛かるらしく、遺跡が出土しても税金ばかり使うので困った問題だったようです。埒が明かず、ある程度の遺跡は犠牲にして地下鉄を通しています。出土した一部の遺跡は現在地下鉄ホームに展示してあるのでアテネに行く際は必見です(^^)

当時インフラ整備も不完全だったのでオリンピック開催地に選ばれていたとしても無理があったのでは?と諸外国からも言われていました。

それでもギリシャアメリカに対する怨念は凄まじく、アメリカに対する悪口や批判があちらこちらから聞こえてきました。

そんな状況下でのオリンピック開幕2日前、私は添乗でアテネにいました。

パルテノン神殿の観光を終えて空港へ向かおうとする時、現地スタッフから「つい先程アメリカのTWA機が墜落した。」と聞かされました。

初めて乗ったアメリカ国内線がTWAだったのと、全員絶望視されていると聞いてとても悲しい気分になった。

TWA機はアテネを出発してニューヨークに到着し、ニューヨークから折返してパリへ向けて離陸12分後に突然爆発して墜落。

アテネで何か細工でもされたのでは?という疑いから空港には大勢の報道陣が詰め掛けていた。

その日の我々のフライトはアテネ発カイロ行きのエジプト航空

どの航空会社の乗客も全員、チェックインカウンター前に並べられたテーブルにスーツケースを乗せて開けて中身を検査されていた。

ツアーのお客さまへは飛行機が墜落したなんて一切知らせず、今日のセキュリティチェックはとても厳しく、とても時間が掛かるとだけ説明。

長い列に並びに行くと、エジプト航空のスタッフから「各自そのまま荷物をこっちに持って来て。」と言われ、荷物を持って行ったところ、そのままどんどんコンベアに流していった。

それを見た複数の報道陣が一斉にカメラをこちらに向けて「この様なズサンな管理が飛行機を墜落させた!」と烈火の如く怒りを露わにしてエジプト航空スタッフに詰め寄った。

その時のエジプト航空スタッフの返しが「彼等は日本人だから。」と一言。

何故か、な~んだと納得してその場を離れる報道陣と、最後までズサンだと怒って我々にカメラを向けながら現地中継を続ける報道陣が1組いました。

結局、いつも遅延が当り前のエジプト航空が、その日は定刻通りに出発してアテネを去りました。

www.jasmine7th.com